2012年8月23日木曜日

インタビュー


地元の日系新聞『ベイスポ』の記事です。良かったら読んでください。

このインタビューの前日(7月半ば)に突然、体調を崩しまして、たぶん熱もあってひどい顔でした。妻には「写真撮影は絶対延期!」と厳命されていたのですが、「インタビューの約束もしたし」と考えていました。でも、明け方3時に「もうだめ」という感じで、インタビューする記者にメールを出したのですが、それが届かず、とにかく、あきらめて会って撮影した次第です。

ま、そう考えれば「ひどい」のですが、幸か不幸か、写真は「落ち着いた」人間に見えるから不思議です。

2012年8月16日木曜日

くろしお言語大学塾開講


くろしお言語大学塾 開講

ついに『言語と文化』のYouTube版が『くろしお言語大学塾』として開講しました。
ゼミ一覧もごらんください。


ゼミ一覧 



【ゼミ名】言語と文化:社会言語学への導入
【ゼミ趣旨】『言語と文化—言語学から読み解くことばのバリエーション』(くろしお出版)第1章を中心に、お話します。言語・・・
  1. 言語と文化:言葉の変化1
  2. 言語と文化:言葉の変化2
  3. 言語と文化:言葉の変化3

2012年8月15日水曜日

フクシマご夫妻、そしてスー・ボーゲルさんのこと

昨日は、グレン・フクシマさんご夫妻にお会いしてお話しさせていただく機会がありました。1980年代半ば、私がサイマルで翻訳者/通訳者のトレーニングを受けていたとき、日米貿易摩擦での通商交渉のフクシマさんのお話の通訳トレーニングがあったのを思い出して、ご本人とお話しできたこと、なんかなつかしいような、感激したような、とてもうれしかったです。

フクシマご夫妻から、スー・ボーゲルさんがお亡くなりになったと伺い、絶句しました。一昨年の11月、妻はスーさんと昔から親しかったので、私も妻のお供をしてスーさんのケンブリッジのご自宅にお伺いしました。私はハインズ・コンベンション・センターでの学会に出席していたので、ボストンに宿泊していたのですが、「ボストンまでは迎えに行けないけれど、ハーバードスクエアでなら」とおっしゃって、Church Streetの映画館の近くでピックアップしていただき、ご自宅にお伺いしました。ご自宅ではとてもおいしいキッシュをいただきました。帰りもwalking distanceなのに、Church Streetまでお送りいただき 「この次にボストンに来るときは、ぜひ自宅に泊まってほしい」とおっしゃっていましたが、それが実現できなくて、本当に残念ですし、寂しい思いでいっぱいです。

そのとき、妻はスーさんとご一緒に、フクシマさんのハーバードでのご講演に出席させていただいたんです。フクシマさんはかつてエズラ・ボーゲル先生のもとで勉強されていたので、妻はそこでエズラ・ボーゲル先生にもご挨拶させていただいたようです。(私は他の学会に出席のため、出席できませんでした。)

今年の3月、トロントのAssociation for Asian Studiesの年次学会では、エズラ・ボーゲル先生に私もご挨拶させていただきましたが、スーさんのことはとても寂しい思いがします。ご冥福を心よりお祈りします。

http://news.harvard.edu/gazette/story/2012/06/suzanne-vogel-researcher-of-japanese-culture-81/

2012年8月3日金曜日

言語と文化(第3回講義配信)


『言語と文化』第3回目の講義です。

【本講義の内容】
・Hymes, D.の 「S-P-E-A-K-I-N-G」
・「言語資料」について
【キーワード】
社会言語学, 言語資料, William Labovの言語調査, 言語政策, (言語の)歴史的変化, 方言(地域方言・社会方言), 共時相 vs. 通時相, 音声言語 vs. 書記言語, 個体発生 vs. 系統発生, 日本語教育

【参考文献】
Hymes, D. (1972) Models of the Interaction of Language and Social Life.

2012年7月19日木曜日

言語と文化(第2回講義配信)


言語と文化(第2回講義配信)

『言語と文化』第2回目の講義です。
【本講義の内容】
・社会言語学で何を考えるのか
【キーワード】
伝統言語 vs. 新規言語, 共通語・標準語 vs. 方言, 高待遇語 vs. 中立・低待遇語, 男性語 vs. 女性語, ピジン・クリオール, トク・ピシン, 中間言語, 変異形, 定型表現, ラ抜き, 有標化
【参考文献】
真田真治『社会言語学の展望』(くろしお出版)


言語と文化(第1回講義配信)


言語と文化(第1回講義配信)

くろしお出版からの講義配信が開始されました
『言語と文化』第1回目の講義です。
【本講義の内容】
・イントロダクション
・言語学とは何か
・言語学で何が課題なのか
【キーワード】
音声学, 音韻論, 形態論, 統語論, 意味論, 語用論, 社会言語学, 心理言語学, 応用言語学, 歴史言語学, 対照言語学, 認知言語学, コーパス言語学, 談話分析, 言語普遍性・言語固有性, (時空間)変異

2012年6月15日金曜日

今、サンフランシスコで

この街でいろんなことが起こっていて、でも、何も関わっていないと、本当に不思議な気がします。

昨日は、サンフランシスコ・ジャイアンツのマット・ケーン投手が13日、本拠地サンフランシスコで行われたヒューストン・アストロズ戦でメジャー史上22人目となる完全試合を達成しているんですね。14三振を奪う力投で、9回を無安打、無四球、無失点に抑えて今季8勝目(2敗)だそうで、ジャイアンツは10対0で勝利しました。たまたま、夕方、電車の中でジャイアンツのシャツを着て球場に向かう人を見かけたりしましたが、家に帰って、初めてニュースで知りました。

私が勤務している大学の近くのオリンピックゴルフクラブでは、全米オープンが、今日から開催されるんです。大学から車であまり「出社しないよう」「公共機関を素養するよう」お達しがあったんですが、そのお達しが出る前の火曜日は車で「出社」したんですが、全米オープンの観客、関係者が駐車場を使用していました。これは、大学の臨時収入になるんでしょうか。でも、石川遼、タイガー・ウッズ、フィル・ミケルソン、バッバ・ワトソンなどのプレーヤーがすぐ近くにいるんですね。記事を見たら「米国男子メジャー第2戦「全米オープン」が、カリフォルニア州にあるオリンピッククラブで開催される」とあるけど、サンフランシスコってどうして書かないのでしょう。

さらにアップル関連製品向けのソフト開発者向けの国際会議「World Wide Developer's Conference(WWDC)」が、今年も6月11日から15日までの5日間、開催されているんですね。それにしても、この記事には「WWDCが開かれた、米・ロサンゼルスのモスコーン・ウェスト。会場には基調講演を聴く為に、朝から長蛇の列ができた」とあるけど、ロサンゼルスではなくて、サンフランシスコでしょう。ちなみに「モスコーン」って発音するのかなと思います。サンフランシスコ市長だったジョージ・モスコー二 George Moscone(映画『ハーヴェイ・ミルク』で著名)にちなんでなづけられたと理解しているんですが、どうなんでしょうか。

2012年6月12日火曜日

Forum 2012 at Kyoto University, June 3, 2012

都市文化*地域経済研究学堂(代表 山田 浩之先生 京都大学 名誉教授)
< フォーラム2012 > が開催されました
日時 2012年6月3日(日)15時00分~  受付・開場(14:40~)
会場:京都大学百周年時計台記念館 2F 国際交流ホールⅠ       
Ⅰ 講 演 会(15:00~)
挨   拶  山田 浩之先生 (代表・京都大学 名誉教授)
1.      南 雅彦氏   (San Francisco State University 教授) 
「 日本語と日本文化
―比較文化心理学・心理言語学・社会言語学の視点から― 」
2.      高阪  章氏   (関西学院大学 教授)
「 東アジア経済の動向と日本経済 」

2012年6月9日土曜日

Higher Education in the US: 米国の高等教育事情

2012年6月2日に龍谷大学深草学舎で「米国の高等教育事情」と題して講演を行ないました。YouTubeでも講演を見ることができます。以下は講演要旨です。


本講演では、米国の公立大学の授業料の推移と奨学金制度を考察する。まず、公立大学授業料の推移だが、複数の公立大学システムが同時に存在していることを 理解しなければならない。たとえば、カリフォルニア州の高等教育制度は、UCシステム(例:カリフォルニア大学バークレー校)、CSU/Cal Stateシステム(例:サンフランシスコ州立大学)、そしてカリフォルニア2年制大学システム(例:サンフランシスコ市立大学)という3つのシステムか ら構成されている。米国の高等教育にかかるコストは上昇を続けており、それはこうした公立大学でも例外ではない。たとえば、上記のCSU/Cal Stateシステムの過去10年の学費負担の推移を眺めると、2002-03年度では$1,572(学部生)であったのが2011-12年度で は$5,472に達し、過去10年で3倍強になっていることがわかる。さらに、さほど大きな金額ではないにせよ、授業料以外にも、健康保険料等、各キャン パスに決定権のあるいろいろな手数料の総額も過去10年で2倍強という上昇カーブを描いている。

こうした上昇を続ける学費負担の軽減策として学生援助制度、つまり奨学金システムが存在するのだが、これにはグラント、ワーク・スタディ、連邦保証 ローン、スカラーシップ等がある。奨学金は能力のある学生に対して、金銭の給付・貸与を行なう制度であり金銭的・経済的理由により修学困難とされる学生に 修学を促すことを目的とすることも多いが、金銭的・経済的な必要性を問わず、学生の能力に対して給付されることもある。つまり、前者はneed-base の奨学金であり、当該大学で勉学するのに十分な学力と資質をもっているけれども、経済的な理由でその大学に進学することが難しい学生に与えられる。これに 対して、後者は成績優秀者に与えられるmerit-baseの奨学金で、留学生も対象に含まれる。現在、連邦政府には、パーキンス・ローン、スタフォー ド・ローン利子補助あり(在学中のローン金利を連邦政府が支払うスタフォード・ローン利子補助なし、そして(保護者が貸付対象となる)プラス・ローンと4 種類に大別されるが、この中で中心となるのは、貸し付け対象が学生であるスタフォード・ローンで、連邦政府ローンの80%程度、全体でも65%程度を占め ている。

本講演では(1)1965年に教育機会給付奨学金、連邦保証ローン、ワーク・スタディ・プログラムが学生援助の方法として規定されて以来 (2)1970年代前半には、連邦政府の援助対象が低所得層の学生援助へと重点が移行することでペル奨学金が導入され(3)1970年代後半には、連邦政 府の学生援助政策がneed baseの助成金からローンに切り替えられ、連邦政府による保証ローンであるスタフォード・ローンが拡大(4)1980年には、保護者が貸付対象となるプ ラス・ローンが導入、そして(5)1990年代に入ると、needによらず、利子補給も行なわない、連邦政府による債務保証のみを行なうスタフォード・ ローンプログラムが導入されるといった歴史的変遷を概観する。そして、こうした歴史的変遷が、米国の奨学金制度が、学費負担軽減にどのような影響を与えて いるかを探る。

2011年7月6日水曜日

マリナーズとアスレチックスの試合










独立記念日の7月4日、オークランドに行ってマリナーズとアスレチックスの試合を観戦しました。オークランドでのイチローとゴジラ松井の直接対決は4月のオープニング以来ですが、そのときはホノルルに出張で観戦できなかったので見に行きました。もしかしたら、イチローとゴジラの直接対決もこれで見納めかとも思ったわけなんです。


まず、イチローなんですが、1番右翼で出場し、4打数2安打でした。最初(1回表)の遊ゴロは、まったく力がなくて、これだけ見れば、今年の調子の悪さと結びつけられそうなんですが、4回の第2打席は外角低めのスライダーを左前に流し打って安打でした。これも流した感じなので、アスレチックスの先発マッカーシ−のボールを「引っ張り切れてない」と言う評論家もいるかもしれないと思いました。6回の第3打席は空振り三振で、これも不振に結びつけられそうなんですが、でも、もしかしたら待っていた球種とは違っていたのかもしれません。ここまではアスレチックスの先発のマッカーシーとの対戦でした。 今年の成績と結びつけられたり、オールスター落選も結びつけられそうなんですが、これまで見てきたイチローとそんなに違うようにも見えませんでした。最後の打席は8回表に回ってきましたが、ここはブレスローとの対戦で、右安打でした。やはり先発投手と2番手以降の投手とではボールの勢いに差があるのか、キレイに引っ張っているように見えました。


さて、ゴジラ松井は2回の第1打席で、相手先発ピネダの147キロの内角直球をライナーで、イチローの前、右前にはじき返して出塁すると、次打者の4球で2進。2死後、カート・スズキの左前打で先制のホームを踏みました(これでイチローの闘争心に火がついたと見るのは穿った見方でしょうか)。2塁からの走塁は良かったです。でも、このあとは左飛、一ゴロとヒットが出ず、9回1死1塁では相手のクローザー、リーグの前に空振り三振を喫してしまいました。前列に座っていたアメリカ人のうるさいおっさんが「ヒデキ、日米通算500!」と叫んでいましたが、残念でした。


結局、イチローは2試合連続の2安打でマリナーズが2―1で競り勝ちました。イチローのヒットは試合には関係なく出ていた感じでした。方や、4番指名打者で出場したアスレチックスの松井は二回に右前打を放って先制のホームを踏み、4打数1安打でした。4試合連続安打で、アスレチックスの得点この1点のみなので、貢献度は高いとも言えるのではないでしょうか。ライトのKomatsuの宣伝、レフトのSharpの宣伝は目につきましたが、くら寿司の宣伝は、観戦していた座席からは見えませんでした。ところで、マリナーズのケネディは、すくなくとも3度はフライを見失っていましたが、それほどすごくよいお天気でした。

2011年4月13日水曜日

更新

今日まで更新を怠ってきました。しかし決して遊び呆けていた訳ではありません。また頑張って書きますので、読んでくださいね。

2010年11月3日水曜日

ジャイアンツ、56年ぶりワールドシリーズ制覇!


サンフランシスコ・ジャイアンツがワールドシリーズを56年ぶりに制覇しました。1958年にニューヨークからサンフランシスコに移ってからは、初めてです!

圧勝でした!見事でした!投手陣は前評判通りすごい。打線は予想外にすごい。誰が3番打者で、誰が4番打者なのかがわからないくらい、どこからでも打ってくる。本当にすごい!信じられないくらいすごい!投打のバランスが噛み合わないと、やはり、ワールドシリーズを制覇するのは至難の技です!

昨日は大学院のゼミがあって、「ジャイアンツは、どうなんでしょうね?」なんて言いながら、クラスをやっていたんですが、
7時にクラスを終えて、オフィスに戻ってインターネットで見ると、ジャイアンツがリードしていることはわかりました。はやる心をぐっと抑えながら、自宅まで車を運転して、シャッターを開けたところなんか外で爆竹の音がしたような気がして、あわてて階段を駆け上がり、テレビをつけたら、グランドで選手がみんな抱き合っているところでした。たぶん10秒くらい遅れたんでしょうね。「くやしい!」その後も、外では爆竹、歓声が聞こえていました。

昨日、日曜日は、「ワールドシリーズの記念になるものを何か買おうかな」と思い、ジャイアンツ・ショップに行ったんですが、行列なんです!で、そういう瞬間に限って、読売ジャイアンツのイメージがだぶってきて、並ぶのをやめました。サンフランシスコ・ジャイアンツと読売ジャイアンツは無関係なんですけど。


でも、妻が熱心に応援していて、私も引きずられて応援した今年のワールドシリーズでした。去年もヤンキースの応援はしたくなかったけれど、松井の活躍、特にペドロ・マルチネスから打ったホームランは技術+パワーで感動しましたし、今年はスーパースターのいないジャイアンツの選手たちが、所狭しと活躍するのは感動でした。


また、日本の友人からのメールです。


ジャイアンツ、ワールドシリーズ優勝おめでとうございます。ボストン・ファンの南先生はあまりジャイアンツはあまり応援してはいなかったのでしょうか。やはり東京ジャイアンツのイメージがだぶるので好きにはなれないのでしょうか。でもまさかジャイアンツが優勝するとはね~。まだまだ発展途上のチームだと思ったのですがね~。いまだにリプケンのイメージが払拭しきれないオリオールズとかに比べたら、ボンズのチームからの立ち直りが意外と早かったような印象がしております。
2002年ワールドシリーズに出た時のジャイアンツにはボンズと、そして新庄もいたのですよね。来年はサンフランシスコでぜひリンスカムを見たいものです。

2010年10月29日金曜日

ワールドシリーズ前夜祭と初戦と第2戦


ワールドシリーズがサンフランシスコで始まりました!

初戦はサンフランシスコ・ジャイアンツが取りました!オフィスで経過を見ていたときは
2-0で負けていて、自宅に帰って、郵便物の点検などをしてから、おもむろにテレビをつけると5回の裏の猛攻、ウリベの3点本塁打の直後で、なんと2-7になっているではありませんか!「1分早くテレビをつければ良かった」とちょっと後悔しました。第2戦もサンフランシスコ・ジャイアンツが勝ちました。ジャイアンツのオレンジカラーが入ったトレーナーを着ている人を今朝も2人見かけました。

ワールドシリーズの前夜10時頃、何か外でバーンという音が何度もして、「だれか、人が騒いでいるのかなあ?」と思って自宅の窓から外を見たら、花火が上がっているではないですか。時々、個人で大きな花火を打ち上げる人がいるんですが、「それにしてもこれは素人が打ち上げる花火ではないなあ」と思いながら、眺めていて、「これはもしかしたら」と思い、テレビでニュースを見ましたらゴールデンゲートパークの中にカリフォルニア・アカデミー・オブ・サイエンス(California Academy of Sciences)という自然博物館があるのですが、そこでワールドシリーズの前夜祭をしていたんです。

ジャイアンツ
Tシャツがよく売れているらしいんですが、これもニュースで「原価1ドル50セントのものを25ドルで売ってる」なんて聞くと、ちょっと興ざめかもしれません。

以前、書きましたが、私はジャイアンツに複雑な感情を抱いているようで、もう
10年以上前になりますが、初めて、その当時の本拠地キャンドルスティック・パークにシカゴ・カブスとサンフランシスコ・ジャイアンツの試合を見に行った時、どうしても「がんばれジャイアンツ」と言えませんでした(ちなみに、そのときジャイアンツの主力選手だったバリー・ボンズやカブスの選手だったサミー・ソーサを初めて見ました)。これも、もうひとつのジャイアンツのせいなんです。それにしても太平洋の反対側のもうひとつのジャイアンツがお金に任せて選手を集めているのに、サンフランシスコ・ジャイアンツはあまりお金をかけていないので、これまでパッとしませんでした。でも、今年は、どういうわけか、頑張っています。今年に限って言えば、同じオレンジカラーでも、太平洋の西側の(本家から名前とユニホームを拝借した)ジャイアンツは日本シリーズに行けず、太平洋の東側の(本家)ジャイアンツはワールドシリーズに駒を進めて、一番になれるかもしれません。

私の友人によれば、

長い間メジャーリーグを見てきましたが、こんなこともあるのですね。SFジャイアンツは確かに投手陣はかなりハイレベルですが、打線ははっきり言って2流です。今年デビューの新人やよそを解雇になったような人たちでとりあえず組んでいるような打線ですからね。それでもワールドシリーズまで進んで、しかも2連勝!ただキャッチャーのバスター・ポージーは確かにいい選手ですね。サンフランシスコの街は盛り上がっているのでしょうか。サンフランシスコの人たちもまさか今 年ワールドシリーズが見れるとは思っていなかったでしょうね。


2010年10月8日金曜日

ラスク rusk(焼き菓子)


最近と言いますか、今年の夏はGodivaにハマってしまいました。特にチョコレートアイスクリームという今年の夏の新作をかなり買いこんでしまいました。あまりにおいしかったので、これまで仕事関係でお世話になった日本の方々にお送りしました。本当は夏の間に送りたかったのですが、例年にない日本の暑さでとけてしまったら大変と涼しくなるのを待っていました。Godivaをさしあげると、必ず「おいしかったです」と言っていただけるので、満足して、「そりゃあ、もちろんそうです。Godivaですから」とお応えしています(笑い)。

私の友人の群馬県在住の三味線の師匠の松本梅しょうさんから、わざわざラスクを送っていただきまして、とてもおいしいのでたいせつに、たいせつに食べていました。先日、妻と一袋ずつ開けて食べながら、妻はテレビを見、私は少し古い朝日新聞の雑誌『アエラ』8月30日号を読んでいました。そこで、まったくの偶然なのですが、『菓子業界総ラスク化」という記事を見つけまして、いただいたラスクを食べながら読んでいますと、

(ブームに)「火をつけたのは、群馬県の洋菓子店『ガトーフェスタ・ハラダ』のラスク。薄く切ったフランスパンをサクサクに焼いたラスクは、お取り寄せブームで全国区になり、今や東京のデパ地下でも行列ができるショップといえばココに。フランス国旗をデザインしたあのパッケージを差し出せば、『わざわざ並んで、買ったのよ』感を主張できる、勝負手みやげとしても人気が高い。」

とあるではありませんか!おもわず、食べていたラスクを眺め、パーッケージをまじまじ眺めてしまいました。梅しょうさん、ありがとうございました!!!妻と「これからは、もっと、もっと、もっとたいせつに食べよう」と話しました。

繰り返しになりますが、ラスク、心を入れて、心を込めていただきます!!

2010年8月25日水曜日

マイケル・アマコストとマッシー・ムラカミのこと

8月23日の夜、『咸臨丸150周年記念事業』の一環としての日系人グラスルーツ・サミットということで、急遽、在サンフランシスコ日本国総領事館の総領事公邸に呼ばれまして、そこで元駐日大使のマイケル・アマコスト氏と再会しました。アマコスト氏は1989年から1993年まで在日本アメリカ合衆国特命全権大使だった人です。以前、総領事公邸でアマコスト氏にお会いしたことがあるのですが、そのときは着席パーティーで横に座ることになりまして、前日から詰め込んであった知識もさほど役にはたたず、かなり緊張しました。今回は2度目ということもあり、前回のような緊張感はなく、わりとリラックスしてまるで旧知の間柄のような態度で話しかけたら気さくに対応してくれました。

感激だったのは、アメリカのメジャーリーグ日本人選手のパイオニアで、サンフランシスコ・ジャイアンツのピッチャーだった村上雅則氏(マッシー・ムラカミ)がいらっしゃっていて、お話しできたことです。メジャーリーグのパイオニアと言えば野茂英雄と思いがちなのですが、村上氏は1964年頃に当時の南海ホークスからサンフランシスコ・ジャイアンツのマイナーのフレズノに野球留学していて、メジャーリ−グに初めて昇格した人です。当時、私は小学生で記憶が定かではないかもしれないのですが、その後、南海ホークスが「帰国するように」と命じたことからゴタゴタもあったようです。
そうしたことが、当時の新聞などで報道されていたのですが、その村上氏に会ってお話しできたものですから感激でした。私が一方的にしゃべってはいましたが、それを丁寧に聞いてくださり、私の素人丸出しの質問にもちゃんと答えてくださいました。

実は、私もハーバード大学の大学院に入学した際の最初のセミナーで、自分の名前を「マッシー・ミナミ」と書いたのですが、そのセミナーの教官で、後に私のアドバイザーになった人が、以前から私の名前を知っていたようで、マサヒコと呼んだのです。もしそのとき私が「マッシー・ミナミ」になっていたら、その後の私の著作、少なくとも英語の著作はMsahiko MinamiではなくMashi Minamiになっていたかもしれません。

If I had been called "Mashi" by that influential professor at that time, my books, at least English ones, might have been published with the name of "Mashi Minami" instead of "Masahiko Minami."

2010年8月21日土曜日

ロジャー・クレメンスのこと

通算354勝にして史上最多の7度のサイヤング賞を獲得し、Rod Sox、Blue Jays、Yankees、Astosで活躍したロジャー・クレメンスが、米連邦大陪審から起訴されました。1997年からの薬物使用らしいのですが、1997年というのはクレメンスが、ボストンからトロントに移籍した年です。1996年頃というのは、クレメンスだけでなく、(その後、阪神に行ってすぐやめた)マイク・グリーンウエルやモー・ボーンと不平・不満分子がたくさんいて、まだ若かった当時のボストンのダン・デュケットGM(ゼネラルマネージャー)は、彼らの扱いに手を焼いていました。私は当時ボストンに住んでいましたので、そうした状況を今でも覚えています。デュケットは、10勝そこそこしか勝てなくなったクレメンスを評して「たそがれ時(twilight)」つまり「全盛期を過ぎた」と言っていました。

ボストンのマスコミは、それまでクレメンスが「出身地のテキサスに帰りたい」といっていましたので、FAでトロントに行ったときには「(カナダの)トロントがボストンよりテキサスに近いとは?」と揶揄していました。でも、クレメンスがトロントで活躍するたび、デュケットGMの発言は皮肉られることになり、「見る目がなかった」とマスコミからはバカにされていたように記憶しています。最終的にはデュケットの進退問題にまで発展したと思いますが、そうした活躍には裏があったとしたら皮肉です。

いずれにせよ、トロントでも、かつてのライバルでオークランドA'sの投手だったスチュアートが投手コーチになった途端に、移籍を要求したわけで、信じられないほどの大きなエゴとプライドの持ち主だったのではないでしょうか。

思い起こせば、私がボストンに到着したのは1987年の8月で、その年は前年ワールドシリーズにまで出場しメッツに最終戦で負けはしたものの最後までボストンを湧かせていたのでしょうね。1987年の8月17日は、夜遅くケンブリッジに到着しました。ローガン空港からタクシーで、ハッチシェルを横目に見ながらホテルに着いたのですが、テレビをつけたらたまたまスポーツニュースで、「ことしのレッドソックスはだめ」なんて言っていました。

翌年の初夏、初めてフェンウエイ・パークに試合を見に行きましたが、たしか対戦相手はブルージェイズだったと思いますが、ぼろぼろに負けました。その後、阪神に行ったセシル’フィールダーもいたはずですが、控えだったと思います。その時のレッドソックスの監督はジョン・マクナマラ(John McNamara)でしたが、その後すぐくびになり、
ジョー・モーガン(Joe Morgan)が監督に昇格しました。この監督はすばらしい実績を残したと思いますが、どういうわけかくびになり、ブッチ・ホブソン(Butch Hobson)を監督に昇格させた1992年には、阪神が1985年に日本一になったときのピッチャーのリッチ・ゲールが投手コーチになりました。

クレメンスを実際に球場で見たのはその頃です。それまで何度もフェンウエイで試合を観ていましたが、クレメンスを見る機会がなかったんです。試合前にゲールとクレメンスが外野をランニングしていまして、クレメンスも大男のはずなのに、ゲールがとても背が高くて、遠くからでも身長差が歴然としていました。その後も、クレメンスが投げるのを見たことはありますが、それほどすばらしかったという記憶はありません。それよりも、何かの記念で、テッド・ウイリアムス(Ted Williams)が球場に来ていてスピーチをしたことがありましたが、やはり印象的でした。

2010年7月27日火曜日

森毅先生のこと

2010年7月24日に森毅先生がお亡くなりになったとのこと、お悔やみ申し上げます。私は京都大学経済学部卒業なのですが、教養部の時に森先生のクラスを取りました。「京大時代は名物教授の一人として人気を博した」というのが一般的な解釈なのでしょうし、まったくその通りだったと思います。

教養部の1回生、もしかしたら2回生のときも(関西では1回生、2回生と数えていました)、数理解析研究所の教授だった一松信先生からも解析学、函数論を学びました。偏微分はまだなんとかこなしましたが、ベクトル解析はよくわかりませんでした。すみません。

対照的に、森先生から何を学んだのか、それほどの記憶がないんです。一松先生の授業にはまじめに出席していましたし、まじめに出席していても理解できないのに、欠席でもしたら大変だということでした。森先生が何を教えられていたのか、もしかしたら、どれほど真剣に出席していたのかすら、ほとんど記憶に残っていないのです。

しかし、森先生のクラスで学んだことで、今も鮮明に記憶に残っていることが一つだけあります。それは手の指(もしかしたら足の指も)を使って示す2進法です。それは、雑談だったような気がするのですが、まず両手を握って、右手の親指だけを立てる。これが1です。これに1を足すと、親指を引っ込め、人差し指を立てる。つまり、人差し指と親指は10の状態となる。10進法の2は、2進法では10です。これに1を足すと、人差し指も親指も立った状態になる。つまり、10進法の3は、2進法では11です。これに1を足すと、人差し指も親指も引っ込め、中指だけを立てる。つまり、10進法の4は、2進法では100です。10進法の5は、2進法では101で、中指と親指を立てた状態です。10進法の6は、2進法では110で、中指と人差し指を立てた状態です。10進法の7は、2進法では111で、中指と人差し指と親指を立てた状態です。10進法の8は、2進法では1000で、薬指だけを立てた状態です。2の乗数は指をどれか一本だけ立てた状態です。ですから、10進法の16は、2進法では10000で、小指だけを立てた状態です。10進法の31は、2進法では11111で、右手の指5本すべてを立てた状態です。10進法の32は、2進法では100000ですから、右手だけでは足りません。右手の指はすべて引っ込め、左手の小指だけを立てた状態です。

これを延々と続ける。「この整然とした美しさ、これは哲学だ!」と思いました。あまりに感激したので、これをその当時つきあっていた彼女(現在の妻)に喫茶店で、両手を使って実演してみたら、そんなバカなことを真剣な顔をしてやっている私を気味悪がったのか、単に私をあまりにもバカだと思ったのか、完全に怒らせてしまいました。きっと、彼女の家族や友人にはそうしたバカげことを真剣に、興奮して話す人なんていなかったのでしょう。

森先生には、風変わりな噂が流れたりしていました。たとえば「80点とか、85点とか、90点とか書き込んだ紙を階段の異なる段に置いておいて、階段の上からテストをパラパラ落としてみて、その落ちた場所に書いてある点数で、成績が決定する」といったまことしやかな噂が流れていました。実際に、クラスを取ってみて、成績はそうした形では決まっていませんでしたが、たしかに風変わりではあったのだと思います。

かなり以前で曖昧な記憶なんですが、もし記憶が確かなら、レポート提出が2回あって、2回とも提出したら82点、どちらか1回提出したら81点、何も提出しなかったら80点、つまりレポートは各1点だったような気がします。最低と最高の点差が2点なんです。「エリートは育てるもんやない、勝手に育つもんや」というのが教育に関する持論だったそうですが、森先生をテレビで拝見するたびに、森先生のクラスを思い出し、懐かしく感じていました。合掌。

2010年7月14日水曜日

サンフランシスコの夏

サンフランシスコの夏は寒いです。『トム•ソーヤーの冒険』を書いたマーク•トウェインが「人生の中で過ごした一番寒い冬は夏のサンフランシスコだった(The coldest winter I ever spent was a summer in San Francisco)」と語ったという言い伝えまであるくらいです。神戸大学で特別集中講義をして、国立国語研究所で招待講演をして、サンフランシスコに帰ってきてから1ヶ月になります。神戸と東京ではたくさんの刺激をもらいました。自分でコントロールしてゆかねばならない仕事なので、のんびりしていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。「新しい本を書きたい」という思いがわき上がってはいるのですが、「さて、どのような手段で」というところで立ち止まってしまいます。文筆業の人間って誰でもそうなのでしょうか。ここで思うのですが、「やはり出版社から声をかけていただく」か「こちらから企画を持ち込む」しかないのだろうな、と考えている今日この頃です。売れる本、つまりたくさんの人に読んでもらえる本をかきたいという思いが、本を出版するごとに強くなっていきます。ところで、twitterも書いていますので、見てください。

2010年5月27日木曜日

言語学出版社フォーラムとSPYSEEととWikipedia

『言語学出版社フォーラム』のために書いておいた「規範文法のみで教えることが正しいのか」というエッセイが2010年4月2日に掲載されているのに、てっきり2010年2月5日に掲載された「若者ことばと日本語学習者の言語表現」と取り違えていた、というか新しいエッセイの掲載に気がついていませんでした。最近SPYSEE(スパイシー)という人物検索にも、出ているのを発見しました。Wikipedia(ウイキペディア)も便利ですし、スパイシーも人のネットワークを知る上で便利です。それから、『言語と文化』が「言語と文化ランキング(人気)』でついに一位になりました!!!

2010年5月20日木曜日

「対照言語学若手の会」参考図書に指定される!

麗澤大学で「対 照言語学若手の会」という学会が開催されるそうです。そこに参考図書のリストがあるのですが、拙著『言語と文化』も含まれています。私はまだまだ学会で発表したい人なので、「自分はまだまだ若いぞ」って思っている、もしくは、そう信じたいのですが、こうして参考図書のリストに指定されているところを見ると、実際には、そうでもないのかもしれません。でも、こうして認めていただけることはとてもうれしいです。これで、拙著を読んでくれる人が1人でも、2人でも増えてくれて、こうした分野の言語学に興味を持ってくれる人が出てくることを願っています。主催者の皆さん、ありがとうございます。スピーカーに私を呼んでください!